最近読んだ記事にあった「webはニュースとヤフオクくらいにしか用がないそこら辺の主婦」というフレーズに引っかかり、その記事の論旨とは関係なく、webのそこら辺について考えてみました。
まず“そこら辺”(その辺)という言葉が使われる状況としては
(1)遠くない場所を漠然と示すとき。その辺り・その近所・その付近の意
(2)その程度の意(用例;そこら辺でやめておかないと…)
(3)それに関すること(用例;そこら辺をよろしく…)
ですので、前段落で私が「そこら辺について考えてみました」の場合の使い方は(3)になります。
では先に挙げた記事ではどうかというと、(2)の使い方あるいは(1)、もしくは(1)と(2)の両方の意味を込めた使い方だと思います。またこの事例がそうだとは言い切れませんが、“そこら辺の”と言うときに、意識的にまたは無意識のうちに若干の揶揄や嘲けりを込めている場合もありそうです。いまどきの言葉で言えば「上から目線」ですね。
私は「webはニュースとヤフオクだけ」ではないですが、間違いなくそこら辺の(どこにでもいる)主婦です。そんな私が現実では到底出会えない、たくさんの“そこら辺”の人間たちの存在と出会えるのがネット(web)です。
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2008年02月26日
2008年02月23日
ブログパーツが好きな人
ブログペットをはじめブログパーツがペタペタ貼られたブログは「重くてうざいからキラ〜イ」な人が多いかと思います。私も「ブログペットは何だかなあ…」で、更新しているのでアクセスしたらブログペットが書いた記事なんてのを読まされて「う〜ん、もう…!」
だけど「ブログにブログパーツを貼りたいタイプの人」には共感するのです。他所で見たブログパーツに「ん?なになにコレ」と好奇心を持ち、「わ!面白そう」と自分もやってみたくなり、あれこれ悩まずエイッと登録して始めてしまう人。こういう人は案外、自分の半径ワンクリック(自分の周知範囲)の外を自覚している人じゃないかな。いや自覚じゃないかな。無意識のうちに肌で感じているか、もしくは感じる機会を持とうとしている人という感じ。
ブログパーツの多くは、ユーザー同士を繋げる機能として、ブログパーツをクリックすると他のユーザーのブログパーツに飛ばされるものがあります。無料サービスであるとユーザーが多いので、半径ワンクリック(自分の周知する周辺)を外れたブログに飛ばされます。またアクセス解析の付加機能も今は当たり前ですね。それから以前リファラから気がついたのですが、ブログペットにはソーシャルブックマークっぽいサービスもありました。
→ブログペットブックマーク
こういうところから、なんとなくそんなふうに感じているだけなのですが、私自身がいろいろブログパーツに手を出して面白がっているうちに、ネットの世界が広がった一面もあるのです。
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だけど「ブログにブログパーツを貼りたいタイプの人」には共感するのです。他所で見たブログパーツに「ん?なになにコレ」と好奇心を持ち、「わ!面白そう」と自分もやってみたくなり、あれこれ悩まずエイッと登録して始めてしまう人。こういう人は案外、自分の半径ワンクリック(自分の周知範囲)の外を自覚している人じゃないかな。いや自覚じゃないかな。無意識のうちに肌で感じているか、もしくは感じる機会を持とうとしている人という感じ。
ブログパーツの多くは、ユーザー同士を繋げる機能として、ブログパーツをクリックすると他のユーザーのブログパーツに飛ばされるものがあります。無料サービスであるとユーザーが多いので、半径ワンクリック(自分の周知する周辺)を外れたブログに飛ばされます。またアクセス解析の付加機能も今は当たり前ですね。それから以前リファラから気がついたのですが、ブログペットにはソーシャルブックマークっぽいサービスもありました。
→ブログペットブックマーク
こういうところから、なんとなくそんなふうに感じているだけなのですが、私自身がいろいろブログパーツに手を出して面白がっているうちに、ネットの世界が広がった一面もあるのです。
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2008年01月28日
「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方
「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方が好きです。いや、好きなんていう生半可なものじゃない。惚れ抜いています。心中覚悟です(笑)
先日この記事を読んで、つくづくそう思いました。
→ブログ=ボトルメール、という距離感。 - 不倒城
私が「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方と表現に、初めて胸がきゅ〜んとなったのはyas-toroさんのところです。当時の私はまだ「はてなブックマーク」の習慣が身についていなかったのであやふやなのですが、該当記事はたぶんこちら。
→記憶の中にある楽園、これから作っていく楽園 - ひとりごと
さて、惚れた相手がどこでどうやって生まれたかは気になるところ。「ブログはボトルレターのようなもの」という表現は、いつ頃、誰が使い始めたのでしょうか?
「ブログはボトルレターのようなもの」と書かれたボトルレターを探して拾い集めるため、「検索」と「はてな」を水先案内人にして、ネットの海を泳いでみました。
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先日この記事を読んで、つくづくそう思いました。
→ブログ=ボトルメール、という距離感。 - 不倒城
私が「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方と表現に、初めて胸がきゅ〜んとなったのはyas-toroさんのところです。当時の私はまだ「はてなブックマーク」の習慣が身についていなかったのであやふやなのですが、該当記事はたぶんこちら。
→記憶の中にある楽園、これから作っていく楽園 - ひとりごと
ボトルレターを毎日海に流して、誰も受け取って貰えないと思っていたけれど、実際は誰かに届いていたのだという事。これは凄く幸せな事だと思えた。勿論、流した数に対して拾われたという反応を貰える事は、パソ通時代に比べたら何百分の一かもしれない。でも「0じゃない」。ブログを始めた頃の私は、海ではなく池や湖に自分のボトルレターを放り込んでいたのです。そしてその池や湖に浮かぶボトルレターの中で、私の瓶だけが何か異質に思えてならずあがいていました。(yas-toroさんやCONCORDEのTristarさんとは逆ですね。)そこから徐々に抜け出し、ようやく「海に投げるという意識」を獲得しつつあった頃なので、上記引用の文章を読んで胸が高鳴ったのでしょうね。
さて、惚れた相手がどこでどうやって生まれたかは気になるところ。「ブログはボトルレターのようなもの」という表現は、いつ頃、誰が使い始めたのでしょうか?
「ブログはボトルレターのようなもの」と書かれたボトルレターを探して拾い集めるため、「検索」と「はてな」を水先案内人にして、ネットの海を泳いでみました。
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2008年01月26日
(笑)で伝えたいこと

そのときの店長さんの表情と笑いは冷笑や嘲笑ではなくて、「誰でも流行りモノには弱いよね」という共感を含むニュアンスだったからです。それからは訊かれないことまでべらべら話してしまうくらい、とても和やかな面談になりました。
先週(2008年1月23日)放映されたNHK番組『ためしてガッテン』の「解明!「会話」ブームの秘密」で、ちょうどこれに該当することが解説されたので驚きました。あれは「ミラー・ニューロン仮説」だったのですね。
→ためしてガッテン過去の放送:「解明!「会話」ブームの秘密」
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2008年01月20日
更新停止のその日まで
私は凡庸な人間ですから、書いても多くの人を楽しませるわけでもなく、誰かに影響を与えることもないわけです。だからブログのモチベーションは結局のところ「自己満足」。ネットはニッチな情報を知りたい人たちにとっての情報源でもあり、いつどんな人がどんな場面でアクセスして読んでくれているかわからないので、凡庸なブログであっても誰かの心に響いたり役に立っているかもしれません。そうは思っていても、たとえそれを実感することがあっても、それだけで書く気力を持続させていくしかないというのもしんどいです。
交流を目的にしているブログや、結果として交流が発展していくブログなら、そういうしんどさやさみしさ、虚無感が薄れるとは思います。でも交流(交流とまでいかない「触れ合い」をも含めて)、ネットだけの人との繋がりもまた不確かで、はかないものです。全文を読む
交流を目的にしているブログや、結果として交流が発展していくブログなら、そういうしんどさやさみしさ、虚無感が薄れるとは思います。でも交流(交流とまでいかない「触れ合い」をも含めて)、ネットだけの人との繋がりもまた不確かで、はかないものです。全文を読む