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2007年10月29日

ネットは仮想空間なのか

前記事「ネットでの「私」」にトラックバックを頂きました。

ネットで人が死ぬとき - [電脳]

『マトリックス』がどういう映画であるのかくらいは知っていますが、観ていないので比喩が助けになるどころが妨げになってしまい、あまりよく理解できませんでした。ごめんなさい。言えるのは、私がネットが仮想空間だという発想は持っていないということです。

ところで前記事で最後に紹介したまなめさんの記事「ネットとリアルの関係」が、10月28日付けの@niftyの「旬の話題ブログ」で取り上げられました。
@nifty「旬の話題ブログ」10月のバックナンバー
で、ここでも紹介用タイトルが『生活の一部な「ネット」は、果たしてリアルか仮想か』なんですよね。

ネットに仮想現実的な側面がまったくないとは言えないけれど、このように単純に「ネット=仮想」とする図式にはかなり違和感を覚えます。

Second Life は仮想空間で仮想現実を楽しむための娯楽コンテンツです。しかしそういう仮想空間を謳っていない場合のネットの、どこが仮想なのでしょうか?(教えてください)

匿名掲示板やブログにおいて、故意に、あるいはやむにやまれぬ状況(鬱屈した何かを抱えていてその反動とか)で、本来の人格とは別の人格でネット活動する人たちがいることは知っています。ネットでは嘘やハッタリや悪意を見抜きにくいです。また人格を装う意識がない場合でも、主に文章という表現手段に頼るwebでは、本来の人格とは違って受け取られるデメリットがあることも事実です。いずれにせよ人格を装う人が出現しやすいのも、装うつもりがなくても誤解を受けやすいのも、ネットが仮想空間だからではありません。マスメディアに嘘や誇張や恣意的なものがないわけではないのと同様、受け取る側の技量・器量に任されるのはマスメディアもネットも同じです。

で、前記事の「はてなブックマークコメント」に以下のようなコメントが付いていまして…
そのIDに何か意味性や由来を持たせていたかどうか。もしくは長年使って愛着なりシンボルとして定着しているかどうか。でもID毎にキャラクタ使い分けなんて私には無理〜。

私があまり詳しく書かなかったための誤解なので、咎めるつもりはまったくありませんが。私はID毎にキャラクタ使い分けなんてしておりません。そんなに器用な人間じゃありません…とプロフィールページにも書いてございます、ハイ(笑)

器用じゃないというのは言葉の遊びで、キャラクターを使い分ける必要がないというのが本当。実生活で行った登山や旅の記録のサイトでの管理で、人格を変える必要はありません。リアルへの煩わしい影響を避けるためのハンドルネーム(本名をローマ字にした)です。そのサイトのサブコンテンツとしても使うブログのほうは、そのハンドルネームでやってます。webについて考えたことを書くのは、趣味のサイトとは切り離して(リンクさせずに)Marumamekoで。これは趣味のサイトは親類縁者が読むこともあるので、たとえば夫が同僚から「君の奥さん、理屈っぽいね」などとからかわれないための予防策っていう程度の理由からです。言い訳はココまで(笑)

で、「ネットでの「私」」の記事中にはそれぞれのハンドルネームでキャラクターを変えているなどど書いていないのに、なぜすぐさまキャラクターを変えていると思い込まれたのかと不思議なのです。

ネットの経験不足のユーザーに「ネットはバーチャル(だから怖い)」という固定観念があるように、ヘビーユーザーもまたネットが仮想空間という実感が高いのでしょうか?私がネットの仮想空間を楽しむ側面をまったく経験していないからなのかな?

ネットにおいて閲覧したりされたり、コメントを書いたり書かれたり、言及されたりしたり、リンクしたりされたり…という意味での交流の場があり、それが繋がり集合した共同体を「ネット社会」と呼ぶなら、「社会」のようなものがあることをネットを使い込むと意識してきます。そしてそれは私にとっては仮想の社会ではありません。現実社会のなかでインターネットという通信を利用した、仮想ではない現実のネット社会だと思っています。
posted by Marumameko at 16:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | net このエントリーを含むはてなブックマーク
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