お知らせ2010.12.01
現在諸事情によりコメントは受け付けていません。

こころの風景の新着記事

2005年08月24日

体育会の問題

高校野球の優勝校の不祥事が取りざたされている。マスメディアでは野球部部長である教員の部員への暴力が問題になったのであって、生徒に罪はないという一点に焦点を当てている。私も生徒たちに同情するが、しかし問題そのものは、もっと根が深いように思う。

スポーツ界のトレーニングの場、特に教育現場において、いまだに「暴力」が行使されている。教員が生徒に、部員の上級生が下級生に。そして暴力を受けた生徒が上級生や、時に教員や指導者になったとき、当たり前のように暴力を行使する立場になる。戦争でも家庭内暴力でも、暴力は連鎖していく。厳しい練習を続けた正当な成果としての優勝を汚された生徒たちには、願わくばこの不幸な事態を受けて、野球の練習の場から暴力を根絶することがいかに必要かを考えてほしいと思う。

高校野球は見ていて楽しいが、昔は「根性論」が蔓延していて好きになれない一面があった。最近はさすがに「根性」という言葉は鳴りを潜め、参加校の中には本当に試合を楽しむ爽やかな学校も増えてきたのだから。暴力についてではないが、やはり「体育会」への問題提起を。
近しい人間に高校教員がいて今年度から水泳部の顧問をしている。顧問は競技会の役員を務めることになるので、地区の小さな大会から、高校総体まで参加している。高校総体でのある一日、参加している聾唖学校の教員と話す機会があったそうだ。

聾唖学校同士の競技会があるが、聾唖者はスポーツにおいては健常者と競い合えるので、インターハイにも参加している。しかし聾唖者は水泳競技ではスタートとゴールが聞こえないため判りにくい。そこで聾唖学校の役員(教員)は聾唖の生徒への特別な配慮を希望して、水泳連盟に申し入れしたそうである。特別な配慮といっても聾唖者の競技会で行われている、ゴールの合図としては選手の頭に役員がタッチして知らせるなどである。驚くことに、水泳連盟からの回答は「できない」という一言であったそうだ。「将来に向けて検討します」くらいの回答くらいはあっても良いものを…。連盟にとっては「ルール」が大事。ルールブックにないことは「できない」のだろう。

指導の名の下に暴力を行使することを当たり前とする雰囲気がはびこる「体育会」。頭が固くて変化を嫌う「体育会」。学校で体育会の部員として体育会のあり方を叩き込まれた人たちは、連盟に名を連ねるように偉くなっても、そんな体育会の体質のまま。これでは高校野球で同じようなことが再び起きるし、競技会の場から差別はなくならない。
posted by Marumameko at 07:37 | Comment(4) | TrackBack(1) | 社会・政治 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
体育会系のことはわからないのですが、
明徳義塾が辞退した時に
「高知高校の生徒は急いで頭を刈って・・・」という新聞の文章読み、
まだ高校野球は坊主なのかと思いました

清く正しい昔の高校生を演じさせられているような印象受けてしまいます
Posted by えみ丸 at 2005年08月24日 16:26
男の子の坊主頭そのものは、私キライではないですが
何事も「強制」して「統一」を重んじる体質には拒否反応を起こしてしまいます。
Posted by Masako at 2005年08月24日 17:35
昔、中学の体育会系の部員だったとき、自分が三年生になったら意味の無いシゴキは止めようと決め、自分がキャプテンになったときに一切やめ
た。負の連鎖は無くなったけど、見事に弱くなったかな…。勝ち負けに拘るなら、甘いんだろうね。でも学校に行くのは、楽しかったよ。
Posted by ヒサゴ at 2005年08月28日 08:44
ヒサゴさん、コメントありがとう。
遅ればせながら、駒場苫小牧の優勝おめでとう。
高野連の採決は妥当だったと思います。

トラックバックをいただいたので…。
運動部に拘らず「体罰」問題は複雑で巧くまとめられないのだけど、一応コメントを残してきました。
Posted by Masako at 2005年08月28日 11:02

この記事へのトラックバック

駒苫の暴力?事件
Excerpt: いろいろすったもんだはあったけど、改めて“おめでとう”。 もし、来年三連覇を果たしたら、、、本当にドラマだなぁ…。やって欲しいなぁ…。
Weblog: ふくろうの囁き
Tracked: 2005-08-28 08:08

最近のトラックバック