私がネットで何かを書くのは、ひとつには自分のログ(記録)を残しておきたいから。しかし、ちょっとこのところネットでは無口になってきている。
“光陰矢のごとし”
取り戻せない過去の時間も、ログを振り返れば再生可能。
もう少し時間を遣り繰りして書こうかな…。
で、気がついたのだが、一年前はこんなことを書いていた。
→新しいwebサービスに飛びつかない人たちもいる
→中高年とTwitter(ミニブログ)
あれから一年。“新しいwebサービスに飛びつかない人たち”はやはり動かないし、中高年層のミニブログユーザーも未だにごく僅か。
一部のヘビーユーザーたちがツイッターをどう使おうが、アメリカでは“ブログからツイッターへの時代”(参照:ブログからツイッターへの時代 - kawasakiのメモ - yukawasaグループ)になっていようといまいと、そんなことは大多数のネットユーザーにとっては関心もなく遠い話なのである。
「はてな」のようなネットのヘビーユーザーたちが集まる所を眺めていると、次から次へと話題が流れ消費されていく。だが、その話題、その流れの勢いとは無関係な場所のネットユーザーたちがいる。情報の共有とはほど遠い現実がある。ヘビーユーザーたちが共有するネットは、岩盤の上の表層のようなものにみえる。岩盤は動かない。表層の流れが岩盤に影響を与えるようになるまで、おそらくもっともっと長い時間が必要なのだろう。ネットのヘビーユーザーとそうでないユーザーたちは、ネットでの「時間の流れ」の感覚が異なると言ってもいいだろう。
私自身はというと、この一年の間にRSSリーダーで購読しているブログを大幅入れ替えしたし、全く別の新しい交流の場もできつつある。ツイッターと“新しいwebサービスに飛びつかない人たち”には、もはや私は何も望んではいない。
※これを機会にMarumameko@ツイッターのアカウントを削除しようと思います。長い間放置でしたし、フォローしてくださった方々との会話もないので、ご挨拶抜きで失礼します。