先日この記事を読んで、つくづくそう思いました。
→ブログ=ボトルメール、という距離感。 - 不倒城
私が「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方と表現に、初めて胸がきゅ〜んとなったのはyas-toroさんのところです。当時の私はまだ「はてなブックマーク」の習慣が身についていなかったのであやふやなのですが、該当記事はたぶんこちら。
→記憶の中にある楽園、これから作っていく楽園 - ひとりごと
ボトルレターを毎日海に流して、誰も受け取って貰えないと思っていたけれど、実際は誰かに届いていたのだという事。これは凄く幸せな事だと思えた。勿論、流した数に対して拾われたという反応を貰える事は、パソ通時代に比べたら何百分の一かもしれない。でも「0じゃない」。ブログを始めた頃の私は、海ではなく池や湖に自分のボトルレターを放り込んでいたのです。そしてその池や湖に浮かぶボトルレターの中で、私の瓶だけが何か異質に思えてならずあがいていました。(yas-toroさんやCONCORDEのTristarさんとは逆ですね。)そこから徐々に抜け出し、ようやく「海に投げるという意識」を獲得しつつあった頃なので、上記引用の文章を読んで胸が高鳴ったのでしょうね。
さて、惚れた相手がどこでどうやって生まれたかは気になるところ。「ブログはボトルレターのようなもの」という表現は、いつ頃、誰が使い始めたのでしょうか?
「ブログはボトルレターのようなもの」と書かれたボトルレターを探して拾い集めるため、「検索」と「はてな」を水先案内人にして、ネットの海を泳いでみました。
始めに「ブログ ボトルメール」で検索すると、何故かあまり該当記事にはヒットしません。かつて「ボトルメール」というメールソフトがあり、現在はブログパーツになっている模様。その関連記事がノイズになります。一応ボトルメールにアクセスしてみたら…。あらら、むかし無料お試し版で遊んだ記憶が…すっかり忘却の彼方でした(笑)
正しくは“ボトルレター”ではないか(英語では「message in a bottle」)と気がついて再検索。瓶の中の手紙が意中のものだけを集めるとこんな具合。(以下更新が新しい順)
→2007-10-25 - Cheshire Life
インターネットに残しておくということはボトルレターを海に流しておくことに似ている。
読まれるあてもないのに、読まれることを信じてボトルレターを海に流す。時はたち忘れたころにその手紙は読まれる。
過去から未来への一方通行の手紙。
→web2.0の恩恵を受けられるのはごく一部のアルファだけ - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)(2007-09-06)
→琥珀色の戯言 - ブログを運営していて楽しかったこと(2007-02-08)
「こうして書いていれば、どこかで誰かが見つけてくれるかもしれないし」というような「ちょっとした希望」みたいなものです。ビンに「知らない誰か」宛ての手紙を入れて海に流すような感じ。誰にも拾われなくてもしょうがないけれど、日々誰かがそれを拾ってくれることを想像して微笑むことはできるくらいの「希望」。
こうやってあれこれさかのぼっていったのですが、結末は意外なことになりました。記事ではなく、あるブログ記事に投稿されたコメントだったのです。それはOCNブログ人の運営事務局からコンテンツ掲載依頼の投稿で、コンテンツの企画趣旨が次のように書き込まれていました。
『インターネットという大海に落とすボトルレターのつもりで書いてみる・・・それが、読む人の心に染み入ることもあります』
行き止まりなので追うのを諦めました。
※参照→はてなブックマークの「*bottleletter」でタギングしたページ
「ブログはボトルレターのようなもの」
誰にでも思いつく可能性がある、当たり前な発想ではあります。しかしそこに気づかない人、忘れている人もいます。ブログ(もちろんwebでものを書く行為すべて含む)で何かを書く意味を、やんわりと気づかせてくれる言葉だと思うから好きなのです。
今の私自身、自分のボトルレターを大海に投げ入れているつもりでも、瓶はたかだか“はてな湾”に漂うだけのことも。瓶が海流に乗って湾から出て行くことがあるかもしれないし、反対に再び池に戻って流すかも知れません。そして今はまだボトルレターの流し場所を湖だけに限定している人でも、いつかは「海」の存在を自覚する日が来るかもしれません。だって湖は海に繋がっているのだから。
※知らない誰かに拾ってほしいと願いを込めて流すこのボトルレターですが、ブログには宛先を指定して届ける仕組みもあるので、今回のボトルレターは紹介させて頂いたボトルレターの数々にトラックバックさせて頂きます。(送信失敗…笑)
前回の記事、『(笑)で伝えたいこと』も共感できるものでしたが、
今回の『「ブログはボトルレターのようなもの」という考え方』は、ちょっと感動ものでした。
Marumamekoさんのボトルレター、潮加減のせいか、北陸の方にもよく流れてくるようです(^^)
私のボトルレターを拾ってくださり、お返事をいただけて幸せです。
以前から書いておきたいことでした。
しかし既に書かれたボトルレターの素敵な手紙の数々を読むと、
気後れしたりもしてました。
万感の思い←大袈裟(^^; を込めましたので、思いが伝わり喜んでいます。
北陸への潮流、いつまでも絶えませんように(^^)
すごく面白い記事でした。
Marumamekoさんの記事は
静岡の駿河湾にも流れてきてますよ。
不倒城の記事も例えが面白かった。
Marumamekoさんはすごいチャレンジャーなんだな〜と思います。
狩猟か農耕かって言われると
狩猟タイプのような、、勝手な想像ですが^^;;
感想をありがとうございます。
チャレンジャーかどうかはわからないけど。う〜〜〜ん。
ブログを書くのはチャレンジしている感じではなく
書きたい思いが突き上げてくるからで
淋しいから、だから誰かと繋がりたいから、
瓶に入れて海に流すのだと思います。
>狩猟か農耕かって言われると
ハズレ〜!
そりゃ当然「農耕」です。下半身安定の体型からして(笑)
とっても素敵な記事ですね。
触発された記事を僕のブログでも書きました。
また、寄らせてください。
私のボトルレターを拾ってくださりうれしいです。
記事を拝読いたしました。
>恋愛っていうのが奇跡であるように
>ブログによってつながっていくのも
>ある意味、現代の奇跡なのかも。
共感いたしました。そして…
『ブログは、不特定多数だからおもしろい。SNSのように知り合いだけのサークルもそれなりのおもしろさはあるけれど。海で遊ぶか。プールで遊ぶか。それくらいの違いがありそうだ』
そうそう!そうなんです。
それにしても、とてもわかりやすくて素晴らしい比喩で、
私もこんな文章が書けるようになりたいものです。
あとでゆっくり別の記事を読ませていただきます。
フィードもチェックするようにしましたし(^^)