このごろとても良いエントリ(ブログ記事)との出会いが多くて、なかには震えがきて涙ぐんでしまった記事もあった。
人生の意味を考えたり生きていくエネルギーを貰うという意味では、市井の人が書くブログといえども、作家が書いた本を読むこととなんら変わりがないなあ…ということをあらためて思った。
黎明期からブログをやっている人たちのなかには、「ブログはもう終わり」の声もあるようだ。反対にブログ全般を視野に入れたことがない人は圧倒的に多く、どちら側も『木を見て森を見ず』なのではないかと思う。
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2007年11月20日
2007年11月13日
言葉に対する感受性
先日夫が突然「ブログをやってる人って、よくいろいろ書けるよなあ」と言ったので、ブログも(ホームページは知ってます)やっていることは内緒にしている私はヒヤッとした。それは単に読んでいた新聞記事に触発されただけの発言だったのでホッと一息ついて、「文章の巧い下手を気にしなければ、誰だって思ったことを書けるんじゃない?」と答えたのだ。しかし夫は「自分には何も書けない」と言う。夫は子供の頃の作文の時間は苦痛でしかなかったそうで、今でも仕事上の「文書」ではない、個人的な作文をしなければならない状況になると「書けない、書けない」と大騒ぎする。
「作文が好きな人・得意な人・得意じゃなくても書ける人」と「作文が苦手な人・書けない人」つまり「原稿用紙あるいはパソコンを前にして、書くべき言葉が浮かんでこない人」はなぜ生まれるのだろう?
一般的に言われるのは読書量の違い。「上手な文章を書きたければたくさん本を読みましょう」という言説である。日本語は「書き言葉」と「話し言葉」の差異が大きいので、書き言葉特有の表現、言い回しや語彙は書いた文章を読むことで身に付くから間違ってはいない。もちろん義務教育で最低限は身に付くが、豊かな表現力はやはり読書によって培われると思う。しかしこれだけでは納得できない。
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「作文が好きな人・得意な人・得意じゃなくても書ける人」と「作文が苦手な人・書けない人」つまり「原稿用紙あるいはパソコンを前にして、書くべき言葉が浮かんでこない人」はなぜ生まれるのだろう?
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